2014年9月29日月曜日

ありがと ジャンバラヤ さよなら パッタイ


「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」

最初は 不思議そうな顔をしていた 

それでも ボクは アイサツをやめなかった



ボクが住んでいた アパートメントのとなりの 小さなおうちに

おばあちゃんが 住んでいた


引っ越したばかりのころ 何度アイサツをしても
不思議そうに ボクの顔を見つめるだけだった



下の部屋に住んでいた 外国人女性もそうだった

アイサツをしても 素っ気なかった



それでも ボクはただ アイサツを続けた


いつからか わからないけど 
おばあちゃんは 笑顔で答えてくれるようになった


それから ボクが出かけるとき おばあちゃんが出かけるとき

おばあちゃんは 両手で手を振ってくれるようになった

下の部屋の外国人女性も 笑顔でアイサツしてくるようになり
料理も作って 持って来てくれることもあった


そんな 5年半住んだ あのアパートを 引っ越すことになった


最後の最後の 荷物を積み込んだとき 
下の部屋の外国人女性がボクに尋ねた


「ニモツイッパイ ドウシマシタカ?」

汗だくのボクは「引っ越すんだよ」と答えた

彼女は 部屋にあわてて戻り ティッシュ箱をひとつもって
「汗を拭いて」という仕草をして ボクにその箱をくれた


「またツルヤあたりで会えるよ」とボクはわかったけど
彼女は 悲しそうな顔をしていた

それから 彼女は 笑顔で「ガンバッテ」といって 部屋に戻った



翌日 最後のゴミ捨てをしに アパートへ行くと

となりのおばあちゃんが出て来て いつもの笑顔で
「お仕事いってらっしゃい」と言ってくれた

ボクは 「今日で引っ越すんだよ」というと

おばあちゃんが ビックリした顔をして それから目の下にいっぱい涙をためた


「ありがとね ありがとね まーるい顔のお兄ちゃん ありがとね」


おばあちゃんの目から 涙がこぼれていた


「またツルヤあたりで 会えるよ」 ボクは そう答えた


おばあちゃんは 首を横に振った

「またどうせ この辺で遊んでるから また会えるよ」

おばあちゃんは 「ありがとね」としか言わなかった


ボクもだんだんつらくなってきて 逃げるように車に乗った


ただ毎日 アイサツをして 2、3個 言葉を投げ合っただけだった



そんな やさしい人に 囲まれていた あの部屋




たくさんの友人も 遊びに来てくれた


あの人やあの人の 悩みを聞くのも いつもあの部屋だった

あの人が ボクの部屋で泣いたことも あった
大好きな 映画を観て 泣いていたことも あった



そんな部屋も すっかり片付いてしまった


「思い出づくり」なんて くそくらえ なんてつぶやいいて


平々凡々と 暮らしていた あの部屋 あの街だったけど


いざ 去るとなると いろんな思いが ほじくり返され
たり

寂しがってくれたり いろいろせつなくなったけど



今 思ってみれば 

本当に 思い出がいっぱいなんだ




それでも ボクはこの街を去る



皆さん 本当に ありがとうございました


そして これからも 

2014年9月20日土曜日

朝食はトースト2枚と 野菜ジュースです

おはようちゅるうす かっくんです


朝 いつもと同じように起きようとすると 

起き上がることができなかった


目が回るというより 目の前の景色がスッと下に落ちてしまって
立ち上がることが できなかった


そうなる日まで 早朝から深夜まで仕事する日々を繰り返していた

うれしいことに増えていくお客様 それとともに増えていく責任
迫ってくる納期 隙間もないのに 容赦なく飛び込んでくる仕事

精神的には とても健康的だったのに  
体のほうがスイッチが切れた というより セーフモードに入ったみたいで


それから 薬を飲まなければ 仕事どこか 生活もできなくなってしまった
薬を飲んでも 突然 スッと景色が落ちる それが怖くて

大好きなスケートボードもできず 階段の上り下り
なにより エスカレーターという乗り物が一番怖かった



もっとボクが 頭が良くて 足し算も引き算もできて
段取りよく できたら こんなことにならなかった



いくつも病院に行って 「メニエル」の疑いと言われ
どこでも同じような 高い費用のかかる検査をした

答えはどこも 「うちじゃわからない」

「わからない」という答えを聞くのに 何度も 何万円も支払った

それはどれも やってみないと「わからない」検査だった



数年前の 話だ




部屋を掃除していて 出て来た 大量の薬を見て そんなことを思い出した
どれも 目眩や耳鳴りを 抑える薬だ



全部捨ててやった もう必要ないから たぶん


幸いにも 心はずっと 健康だった 
健康なフリをしていただけかもしれない


中島らも先生の「心が雨漏りする日には」を読んでおいてよかった 

と心から思った あの本から学んだことが とても多い




そんなこんなで 昨日 31歳になった

各種通信手段で たくさんの人から 

「おめでとう」の言葉と 
たくさんのおいしそうな写真を送っていただいた


ボクのような 軟弱で 低脳 低学歴 低額納税 低バイブスでただのブス


が こうして 31年 生きてこられたことは 本当にめでたいこと


何よりも こんなボクでも 
生きていることを許し 見守ってくれている
先輩 友人 仲間たちのおかげです



それでも元気でいられること こんなボクにもつき合ってくれる人


感謝の意を




おかげさまで 昨日も今日も先週も

「ヒャッハー!!」なんて叫びながら
街中をスケートボードで 走れるほどに 元気で健康


先日も 「ヒャッハー!」と叫びながら スケートボードに乗っていたら


通りすがった車から 「カズキは雨に濡れない!」と声援をいただいた



そう 「カズキ(ボク)は 雨に濡れない」

能天気でお調子者を 31年やってきたけど 憂鬱な唄ばかり聴いてきたんだ


だから こんなときくらい 
ハッピーな唄でも聴こうじゃないか 歌おうじゃないか


こんなボクですが これからも宜しくお願いします




2014年9月13日土曜日

ネギを強く噛みしめたときに広がる 香りと後悔

ある朝 信号のない 横断歩道 


その手前で 一旦停止

小学生が 走って渡って ボクにお辞儀をする

そんなこと ほどんどの大人がしていたことも知らずに

深々を お辞儀をしていた ボクは胸が痛んだ


またある朝 信号のない 横断歩道

その日は PTAの方が 黄色い旗を持って 退屈そうに立っていた


見通しもよく 歩行者も 誰もいないことは

しっかり 確認できていたが


PTAのおかあさんは 慌てて 黄色い旗を振り出した

ボクが 横断歩道を通過すると 同時に

おかあさんは 旗を 大きく振っていた



おかあさんは 虫を祓っていただけのようだったが


ボクの ドライバーとしても何かに 火がついた



すると 対向車線を 走って来たのは

古い型の 白いワゴンR

ドライバーは 太った男性で

フルフェイスのヘルメットを被っていた

鈴木亜久里選手モデル のヘルメットだった





ボクは その男性に 心当たりがあった


小学校の頃 夏が始まる頃に転校生がやってきた

『テルヒコくん』という名前だった

とても太った少年だった


季節労働者のお父さんで いろんな街や山を 転々している家族だった



「変わり者が来た」「あまり関わらないほうがいい」と
小さな街の小さな大人たちの 悪いウワサが 

学校に来る前から広まっていて

転校してきたばかりの テルヒコくんは 
やって来たその日から 孤立しているように思えた


テルヒコくんは いつも 放課後 教室に残って
独り言を言いながら ノートに 何かを書いていた

クラスの皆 誰も 
それに触れなかったし 関わろうとしなかった



ある日の放課後 ボクは 忘れ物を取りに教室へいくと

やっぱり テルヒコくんは 教室でブツブツなにかいいながら
ノートになにか書いていた


ボクは 恐る恐る テルヒコくんに近づくと 
ブツブツ言っているのが やっと聞き取れた

「ズッズダンっ!ズッズダンっ!ズッズダンっ!」

聴き覚えのある ドラムラインだった

ボクは 勇気を出して 
そのリズムに 合わせて 心当たりのあるメロディを口で奏でた


「トゥトゥレ トゥレトゥレトゥレ トゥトゥレ トゥレトゥレトゥレ」

すると テルヒコくんは 驚いた顔で 振り向き
ボクら 二人で 大きな音で 口で奏でた

「デデン! デデン! デデンン!!!!」
「デデン! デデン! デデンン!!!!」


T-SQUAREの「TRUTH」だった


テルヒコくんは 気持ちよさそうに 電子サックスを
吹いている フリを始めた


ボクも負けじと  
左右交互に 脚を 膝を 内にいれるようにステップし

ギターを弾いているフリをした


ボクは その頃 「TRUTH」が フュージョンジャズを 超越した
世界の最先端で 一番カッコいい音楽だと信じていた


ボクはずっと 電子サックスのメロディーの切れ間にある
ギターソロのタイミング 待っていたが


テルヒコくんの サックスは高まるばかり
高音もテンションを 最高潮に達した ところに


先生がやってきて ボクらは一発ずつ ぶん殴られた


下校時刻は とっくに過ぎていた


先生が取り上げた テルヒコくんのノートには

とても上手に 鈴木亜久里選手の似顔絵が描いてあった

小学生が 描いたとは 思えないほどのモノだった



その年の 冬が来る少し前
 
テルヒコくんが この街を去るときが やってきた

涙もみせずに テルヒコくんは みんなの前でアイサツをしていた

「ありがとう」「たのしかった」「がんばって」
ウソツキだらけの寄せ書き を テルヒコくんは
笑顔で 学級長から受け取っていた




放課後 テルヒコくんに呼び止められた


大きなバッグから 取り出したのは 大きなフルフェイス

鈴木亜久里選手モデルの ヘルメットだった


「サインしてくれよ」 テルヒコくんは そういった

ボクは 快く引き受けた


「ありがとう」 

テルヒコくんは 少しだけ涙を浮かべて そう言った


テルヒコくんとは それっきり 会うことも 連絡をとることもなかった





それから 20と数年 

テルヒコくんが  F-1ドライバーの夢を 諦めていないことを知って

ボクも 少しだけ涙を浮かべた 朝だった

 

2014年9月9日火曜日

交差点で ズンダ餅拾ったよ 今すぐコレ交番 届けよう

こんばんちゅるうす かっくんです


疲れ果てて 布団に入ってから
それから眠りに落ちるまで 明日のことを決めた

「メゾンドソラマメでランチしよう」


店主のタケシと [speed sprayer]というバンドを組んで
半年が経つが 練習を一度もしていないし 
もちろん ライブも一度もしていない


それでも タケシの作る 料理が好きだし



ボクは ハンバーグが 大好きだ

こんなに美しいハンバーグを見たのも 
食べたのも 初めてだった


クルミとなんとかのアイスクリームも とんでもなくうまかった
デザートが作れて 一人前の料理人と聞いたことがある

彼が作るデザートはいつも美味しい



おいしい ハンバーグとアイスを食べてから

同じ 松川村にできた 新しくできたお店で


お茶をいただいた



2杯目にいただいたお茶も とんでもないうまさだった

いわゆる 二郎系といわれる もので


一口食べたときに ボクは ババのジロウを思い出した


高田馬場の二郎 味も盛りつけも 
二郎の中でもかなりワイルドだったことを 覚えている

お店をしている お兄さんも ワイルドでかっこよかった



長野のラーメン界に 新しい風がふいている



松川のソラマメから 六方でお茶をする 
みんなの定番ドライブコースになるかも
順番が 逆でもいいかも



新しい風といえば 
最近 お外でも飲めるようになった モンカバ

夜風にあたりながら ビールを飲む



いつも だいたい
おつまみガレットとシードルでお洒落を気取りながら

大好きなおにぎりの話を 1時間熱弁するという

モンカバで一番 迷惑はお客さんとして 通っています


たまには 甘いものと いただいた
ティラミスとアーモンドのクレープが 何しろ美味しかった

甘みとビターさと ほのかに香るオレンジと アレとソレが
零点何ミリグラムと零点何ミリグラムのバランスで調和していて

とても美味しかった 



この街には 本当に美味しい物が たくさんありすぎて
全く痩せられる気がしないし そのつもりもないのかもしれない


ごちそうさまでした おやすみなさい
明日は なにを食べようか


2014年9月2日火曜日

ピーマンの種を 捨てる前に 思うこと 

こんばんちゅるうす かっくんです



それが 冗談であったことを 頭では理解していたけど

心が理解をしておらず ボクは 涙が止まらなかった

「涙はそこからやってくる 心のずっと奥のほう」

あの人は そう唱うていた




初めて一人暮らしを始めたとき 
ポストに入っていた 宅配専門のお寿司屋さんのチラシに えらく感動した

不定期に投函される おすしのチラシ

芸術的に握られた 美しいおすしの写真に魅了され
ボクはその宅配専門のお寿司屋さんのチラシを 十数年集め続けた 


注文することは 一度もなかった


ピザ屋さんのチラシはすぐに捨てていたが 注文はわりとしていた


住む街が変わっても その街 そのマンション そのアパートには
必ず その宅配専門お寿司屋さんのチラシが 投函されていた

ずっとそばにいてくれているようで 護ってくれているようで

それがうれしくて ボクは チラシを集め続けた


注文することは 一度もなかった


いつの間には それが ただの習慣になり
ポストに入っているのをみつけると それを押し入れに投げ込む

ただの作業になっていた おすしの写真に対する 愛を失くしてしまった


それに気がつき ボクは 次から投函される
宅配専門のお寿司屋さんのチラシを 捨てるようになった


なにに執着し なにに依存し なに様のつもりで
それを集めていたのか わからなくなって

段ボール一杯にあった チラシも 思い切って捨てた


涙が出ることは なかった



あんなに執着し あんなに依存しいたのに


むしろ スッキリした気持ちになった


注文することもなかったし
これから先も 注文することもないだろう



ボクと あのおすしのチラシは 
ボクらは 出会っていたようで 出会っていなかったんだ
ボクは 救われていたようで 救われていなかったんだ