2015年12月29日火曜日

あふれ出た夢は しゅまいにつめて


先輩に誘われて お餅つきに行っていた

もち米を蒸し 蒸すために火を焚き 巻きを割る

餅をつく 餅をのばす 餅を食らう きな粉をつける 餅を食らう


お漬物と 暖かい料理が出てくる それを食べながら
男たちは 火を焚き もち米を蒸し 餅をつく

これが 年の瀬 師走の 大仕事

家族や ご近所さんや 気心知れた仲間と 
正月と長い冬のための支度をするなんて なんてステキなことでしょう



来年のお正月の準備をしながら 今年を少し振り返る

思い返せは 今年もとてつもなく 長い長い一年だった


今年のお正月のあめ市で お神輿をかつぎ 今年は綱引きも勝った



何度も キャンプへ出かけた



静岡GREEN PARK PICNICには オリジナルプロダクトを持って参加させてもらえた

それからスタジオドーナツさんとも たくさんステキな仕事をさせていただけた


まだ始めて間もない QUIET SPACE だけど 少しずつプロダクトも増やせた


愛車もホワイトなバンに変わった


[Chunk`s] という ちいさなイベントに 区切りをつけたのも今年だ
Chunk`sから飛び出した というわけでもないけど 


盟友ダチっコのお店 [ the source diner]のオープンした

本当に今年は 変化や新たに動き出したことが たくさんあった年だった

来年も いい意味での変化しつづけたい
バカでノロマで小太りなボクだけど少しでも成長できるよう 努めよう


そんなわけで2015年の「かっくん」としての活動は今日でお終い

今年も 青春18切符で旅にでます 探さないでください

どうしても探したい人は インスタグタムまで


今回の旅は長年集めてきた KEN KAGAMIさんのTシャツを日替わりで着よう

それから 誰にも聞こえぬよう ボガンボスの「最後にひとつ」を
口笛吹きながら 知らない街を歩こう


思い出してみれば 本当に今年も 
たくさんの人たちの優しさに救わてきた 一年でした

32歳になっても 恩を 仇とアレでしかお返しできてない 不届き者ですが

自分なりに 少しでも皆様へご恩や感謝をお返しできるように努めます

本年も ありがとうございました


来年も 皆様 仲良くしてください




2015年10月8日木曜日

豆腐を茹でよう 君の涙が已むのなら


白いウエスタンブーツ  

白いウエスタンブーツを履いた人間しか その街に入れない


のかと 思うくらい その日の原宿には 白いソレを履いた女性しかいなかった


ほどよく色落ちしたリーバイスの505でも探したろ と思って訪れた原宿の
シカゴの 階段を降りたその先に どこぞのカーボウイが履いたかわからない
白いウエスタンブーツが 大量に陳列されていることにまた 
少しの恐怖みたいなモノを感じながらも

どこぞの労働者が履いていたかわからない 
ほどよく色落ちしたアメリカ製の505を手に入れ その街を去った 


10年ほど前の話だ


10年前のその日は 流行とオシャレについて 
答えなき答えを自問自答する ある意味 トラウマのような日だった


そのスタイルが良い悪いというファッション評論ではなく
流行というモノのエネルギーを
目の当たりにしたというより 妙に客観視してしまった日だった


そんなことを 色落ちの進んだ505に脚を通しながら思い出していた


気持ちのどこかに夏気分を残したまま
履くズボンは 長ズボン  半袖のTシャツの 上に羽織るモノを

押し入れの奥の奥の奥のほうから 引っぱりだしては

「ああ こんな服持っていたな」と 
その服にまつわるエトセトラをなんとなく思い出す  そんな 季節となった



ここ数日の この街の朝晩の冷え込みも とても秋とは思えないほど


朝方に めくれた布団から 飛び出した足の先を 温めるつもりかなんなのか

右足のアキレス腱を 左足のお父さん指とお母さん指で挟んで寝ている自分に

なんとなく気がついて 目を覚まし 結局 冷えきったその太い脚足を

どうして 温めてやろうかと 思い悩みながらまた 眠りに落ちる


暖かくして眠ればいいだけなのに 今日も目を覚ます

寝冷えもする お腹も痛くなる 暖かくして眠ればいいだけなのに




とにかくボクは とびきりセンチメンタルなんだ



2015年9月6日日曜日

タマネギを 縦から切るか 横から切るか

「フェースブックで 友達にバレずに出会える」というアプリで

彼氏が出来たと 自ら自分の友達にバラしている 友人会った


出会いのきっかけや そのツール(コンテンツ)が どうであれ

彼女は以前より 楽しそうな顔つきなったので 
いいんじゃないかと思っている


昔は 結婚する相手もなにも知らないまま 嫁に行ったもんだ
と 昔の人が 言っていた


経済と社会の成長と文化の発展が ボクらに自由な恋愛を与え

そして その出会うための手段も またビジネス化とデジタル化した


この国では 誰もが誰に 恋をすることを許されている




ボクはずっと ボクの口笛が 君に届いていないと思っていた

あのクラスで ボクが『小太りの透明人間』と呼ばれていたあの頃 
ボクがそこにいるのに いないことになっている教室で ボクはいつも口笛を吹いてた


「ピーピュー ピーピュー ピーピー 
 ピュウピュウピュっピュー ぅおーう 君に夢中」

ボクはいつでも 彼女を思った唄や 聴いてもらいたい唄を 口笛吹いていた

その聴こえない口笛を吹くことが

彼女に想いを伝える 唯一の手段だった



彼女の日常に BGMを加えるのが ボクの役目だった


それはいつでも どんな表情 どんな仕草でも 

映画のワンシーンのようだった



そう 思い込んでいた


あるとき 彼女が泣いていた  

ボクが誰にも気づかれず 気づいてもらえずに
遅刻して入った 教室で

たくさんの女子に囲まれて 彼女は泣いていた


なぜ泣いているか ボクにはわからなかったが

ボクは ボクのノドのずっと奥のほうを

ギューっと 締め付けられるような 感覚がした

それは 初めての感覚だった  

ボクは居ても立っても居られなくなった


ボクは 彼女がまだ知らない唄を たくさん知っていた
ボクは 彼女を励ますための唄を たくさん知っていた

だから ボクは 彼女を励ます唄を 

その聴こえない口笛を 精一杯吹いた


「ぴゅーぴゅぴぴー」

女子たちが 一斉に ボクを睨みつけた


ボクは 口笛を吹くのをやめた

ボクは 家に帰ることにした

ボクは 彼女を好きでいることを 
やめることにした


少なくとも ボクの口笛が彼女に届いていたことが 嬉しかった

でも ボクのしていたことが彼女にとっていいことだったかは

今でも わからないでいる


ボクは 恋する惑星に生まれたはずなのに



2015年8月12日水曜日

目を閉じても 世界は動いているんだぜ


目の前で 家族が死んでいた

目と鼻はつぶれ 唇は縦に裂けるようにめくれていた

それ以上は 言葉にできないほど 悲しい姿だった


ボクは13歳だった

大型トラックの無謀な運転で ボクの母と弟が死んでしまった

いまから19年前のことだった



声が無くなるまで泣いて 一生分泣いて あの日の夜にボクの涙は枯れ果てた


人の死に 美しいもなにもない  

誰かに命を奪われたとて その誰かを責め立てても 

恨んでも 殺しても 失った命は還らない


だからこそ 人の命を奪うことは 許されないことであると ボクは思う





今から70年前の8月6日 広島に 爆弾が落とされた

その2日後に ソ連より宣戦布告を受ける

その次の日には 長崎に 爆弾が落とされた

それから6日後に 日本は 戦争に終わりを告げた



ボクはそこにいたわけでない その時代を生きていたわけでもない


そこには たくさんの悲しい死があり

日本の軍も たくさんの命を奪った

それが 戦争というものだった それが 争いだ



平和安全法制によって

自衛隊法 国際平和協力法 船舶検査活動法 事態対処法 米軍行動関連措置法
特定公共施設利用法 会場輸送規制法 捕虜取扱い法 が改正され


新たに 国際平和支援法 が制定されようとしている


それを言われて 内容を理解しても していなくても
その全てを 「ああ そうなんだ」と思える人は そういろんな意味で多くはないと思う 



それぞれの「平和」の概念と理解の違い 
それぞれの 倫理 道徳 哲学的な違いになってくる



「戦争の放棄」「戦力の不保持」を宣言し この戦力に あたらないとされていた自衛隊



自衛隊法の改正

「自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、
直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主 たる任務とし、
必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。」

から 『直接侵略及び間接侵略に対し』という部分が 削除されようとしている

今ある 自衛隊法にも こうある
「第七十六条第一項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、
わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。」

という内容もある この第七十六条第一項というのは
「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃(以下「武力攻撃」という。)
が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態に際して、
我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。
この場合においては、武力攻撃事態等における我が国の平和と
独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律 (平成十五年法律第七十九号)
第九条 の定めるところにより、国会の承認を得なければならない」

今ある自衛隊法としても 有事の場合の武器使用は 認められているのである


なにを持って「平和」なのか  

よくあるヒーローモノで 「平和のために戦う!」なんてあるけれど


戦うことが平和なのか  ということになる


ボクは 今までいつくか読んでいた 仏教の本の影響で 
「非暴力」であることが 平和であると考えている
それが今のところ 腑に落ちている 
いろんな宗教の中でも 考え方はあるけれど キリスト教でもそれは唱えられている

「ここにきて 宗教の話か!」と 思われる方をいらっしゃると思います
これもそれぞれの考えや 答えが存在します



そして この日記の 一番最初に戻ります

ボクは13歳のときに 家族の無惨な死を目の当たりにしました


目と鼻はつぶれ 唇は縦に裂けるようにめくれ それ以上は 言葉にできないほど 悲しい姿でした




それは大型トラックの無謀な運転による交通事故だった 戦争ではありませんでした

しかしそこには だれかの力によっての死が そこにありました



こんな悲しみと 誰かがすることも 誰かにさせることも 望むことでも 

そのどれも あってはならないことだと ボクは思います




悪しき者は 罰せられるべきだと思います


その反対に 罪のない者の命を奪うことほど 罪深いことは ないでしょう

法律が変わらなくても 変わったとしても
この国が戦争をしなくても するにしても
 
それに関わること この国でも 他の国で起きたことでも
戦争をすること させてしまうことに ボクは反対です


だって 悲しいじゃん

これが 勉強不足の ボクなりの考え というより 思いです



平和を唄うことの なにが罪なのでしょうか


これが 勉強不足の ボクなりの考え というより 想いです

2015年7月22日水曜日

桃の切り方と 上手な食べ方



朝 ひんやりして気持ちのいい風が 通り過ぎたり ぶつかったり

かと思えば ジリジリと太陽光線が 
少しずつボクの 寝転んだのその足先から熱くさせ

そして この部屋と アイツとアイツんちを 

これでもか というくらい暑くさせる


ひんやり風のことなど 忘れてしまうくらいに



汗をかく ただひたすらに 汗をかく 



部屋から部屋へ移動しただけなのに

また 汗をかく


暑さを忘れようと 昼寝をしただけなのに

また 汗をかく 大量の汗をかきながら 目を覚ます


まさか!と 期待を膨らまし 体重計の乗ると

減ってない ぜんぜん減ってない


むしろ 汗の量以上に摂取したコークのせいで 増えている


それがキッカケで 自己嫌悪に陥り

暑さのいら立ちの片隅から 憂鬱がわき上がり

黒煙のように 心を憂鬱色に染上げた

「ああ もう今日は どこへも行かないでおこう」

なんて 扇風機の首振りをロックして またベッドに飛び込む


目が覚めると 外は真っ暗


扇風機よりも 窓からひんやりした風が 流れてくる


ちょっとくらいは出かけるかと 近所のラーメン屋へ行く


また汗をかいて 家に帰る


帰ったら帰ったで やることもなく 眠気もなく

ただ 部屋をウロウロする なんとかく片付けとかしてみる


途中で飽きて そのまま床に転がる


ひんやりした風で 目を覚ます 朝がやってくる


そういえば 昨日から電話が鳴ってないと 携帯をみると
いつからか 電源が落ちていた

充電して 電源を入れると 誰からもメールも 何もない


ジリジリと また部屋が暑くなる


ああ それが 夏休み



2015年7月14日火曜日

ゴハンがないから ナンを焼けばいい それが答えだ



先月 なんとなく行った 銭湯で買った 牛乳石けんを

その銭湯一回きりで捨てるのも 勿体ないなと思って

家に持ち帰った その次の日から 
その石けんが無くなるまで キレイに使い切ろうと心に決めた



割れることもなく 小さくなっても排水溝に流れていくこともなく

昨日 その石けんを 使い切ることが出来たんだ



なにか 目標を立てて こんなにシンプルで わかり易い目標を
一人で達成できたのは 31年生きてきて 初めてだったかもしれない



何気ないことでも 普段気にかけていないことでも

意識することによって それが課題になったり いってみれてゲイムだったり


なんでもない日常を なんでもなくすることは いい意味で容易で
そこから 多くの学びが得られるのかな


なんて 薄っぺらで 香りもなくなって 牛乳石けんをゴシゴシタオルで
泡立てながら  そう思った



石けんという その姿を失くし 泡となったそれは

いつまで経って どんなに擦ってもキレイにならない汚れたボクの 

その上澄みだけ連れ去って 排水溝へ 流れて行った


そのささやかだったかもしれない 目標達成の瞬間

ボクは 少し笑った  お風呂の真ん中で もちろん全裸で


笑いながら 見下ろすと だらしなく熟れたマンゴウのような

ワガママボディが そこになった


ボクはなによりも 目標にしなければいけないことから 目をそらしていた


石けんを使いきることなんて ただの現実逃避にすぎなかった


痩せなければ



死にたくて死にたくて仕方がないのに 忙しくて死ねず
次の休みには 死んでしまおうと思っていた

そんなふうに 思うこともあったけれど



死ねない理由が また一つ出来た

長生きしなければ  痩せなければ

あの石けんのように キレイに無くならなければ

2015年6月22日月曜日

マッチ売りの少女の3連休


[イージーライダー]をヴィデオで 観たばかりだった
その頃のボクらは またバイクどころが 免許も取れない歳だった


日曜の朝からノブオくんがやってきて

「ヨッチャンちに ハーレーがあるらしいから 見に行こうぜ!」

というので 見にいくことにした 

ボクらは 明らかにいつもと違う気持ちで ママチャリに股がった


ヨッチャンは いつも以上に得意気に 出迎えてくれた
ヨッチャンは そういう男だった

得意気に案内された ガレージに停まっていたのは

青い回転灯と 鷲をモチーフにしたステッカー
プラッチックで 大げさに装飾された バイクで
タンクには ホンダのマークが付いていた

ヨッチャンは いつも期待を裏切ってくれる男だった


ボクらは 大笑いしながら ヨッチャンを精一杯 馬鹿にした


そして ボクらは そのまま ママチャリに乗って 

隣町まで行ってみよう ってことになったから

一回帰宅して 持っている限りのジャリ銭を ポッケに
そして 一枚だけ持っていた 千円札は 
グリッブの破れてハンドルバーの空洞に詰め込んだ

まるで オイルタンクにお札を忍ばせたつもりだった


そしてボクは ママチャリのシートではなく 
荷台に腰を下ろして ペダルを漕ぎ出した

サドルは タンクのつもり

それは まるで アメリカンバイク 
チョッパースタイルのソレに乗っているつもりだった

ノブオくんも それをマネして そう乗り出した


ヨッチャンは マウンテンバイクだったので
それができなくて もどかしそうにしていた

ボクらは その様を見てまた 精一杯小馬鹿にした


隣町への道のりは 遥かに遠かったが
おかあさんの車で 何度も隣町の病院へ行っていたので
近道とかも だいたいわかっていたの 迷わない自信があった

それでも 大冒険のつもりだった


めざすは 隣町のイトーヨーカドー   

ヨーカドーのゲーセンで 持っている限りのジャリ銭を使い込んで

シャベルですくい挙げてたものを 狙って落とし またそれがググっと押し出されて
お菓子が ポトって落ちてくる あのゲームで 取れる限りの アポロを穫ってやるんだ


途中のセブンイレブンで アクエリアスの700ミリリットルの
飲み口が スポーツ選手が使っていそうな クイと引き上げると
チューチュー吸えるタイプの ヤツを買った


おかあさんがいっしょじゃないのに 自分のお小遣いで
自分の欲しい物を買っている そんな自分に少し酔っていた


アクエリアスをチューチューしながら 
たどり着いたヨーカドーのゲーセン そこに自由があった

が バッタリそこで会ったマサオくんは 普通にお母さんといっしょに来ていた

大冒険をして来た感覚が ちょっぴり冷めた


アポロもあんまり 穫れなかった

「下で買った方がよかったんじゃない?」と 

ヨッチャンが言い出したので また気持ちが冷めた


ヨッチャンは そういう男だった


とりあえず 2、3個撮れた アポロをカゴに入れ

ボクらは おうちまで帰ることにした


ママチャリを漕ぎだしら また少しずつ気持ちが高揚して来た


自然と ボクらは 競争になってきた


後ろで ヨッチャンは 急な坂道を登る用のギアのままで走っていたので
いっぱいいっぱい漕いでも 遅かった


ボクと ノブオくんが 笑いながら競争をした

後ろにぴったりついて走っていたノブオくんが

夢中になりすぎて 訳もわからずボクが 急ハンドルを切った
その瞬間 訳もわからず ノブオくんが吹っ飛んだ

転んだノブオくんの手と膝から 結構血が出ていた

「イテェよ イテェよ」と 涙をこらえるように 傷口をフーフーしていた


なぜが ヨッチャンが 泣き出した
それを感じ取って ノブオくんの目から 涙があふれてきた

ボクも なぜか つられて泣きそうになったけど

ノブオくんの肩を 叩きながら そのリズムに乗って唄いだした

「ブォーン トゥビー ワーアアア!」
「ブォーン トゥビー ワーアアア!」


ノブオくんは 泣きながら笑い出して

そして 一緒に唄った

「ブォーン トゥビー ワーアアア!」

この旅で 一番大事なことを思い出した
ボクら 三人は 大笑いをした


それから なぜかノブオくんを 遊ばなくなり

もう 15年は会っていたい

決して 仲が悪くなっただけでもないが

久々に会ったら うまく話せないような 気がする





2015年6月11日木曜日

タマネギのすりおろしって たいへんだ



自己啓発的なモノではなく 

ただその人の思ったことが 言葉が

回りくどくもなく くちどけのよい こしあんのような言葉で書かれた

そんな本が好きだ


その本その文章その言葉から なにか新しい概念を与えられると 

より大きな満足感を得る 利口になったつもりになる


そんな本に いつでもどこでも 出会えるわけではない
読まないことには 始まらない


いろんな 思想や概念や言葉 そんなモノが集まった 図書館や本屋って
また恐ろしい空間である 空間というより 宇宙である


いや その宇宙って一体なんなんだ 

それもきっと どれかの本に書いてある


人はなぜ 文書は言葉を紙に詰め込んで 残そうとしたのか 残してきたのか


それもきっと どれかの本に書いてある




最近 時間に余裕がないのか  心に余裕がないのか

ぜんぜん 本を読んでいない

それは 本を読んでいないから 時間にも心にも余裕が作れていないとも言える


昔から 頭を悪く 心も弱く 顔の細工も悪く

それをなんとかしようと 少しでも補おうと 

本を少しでも読むようにしていた


しかし顔の細工の悪さだけは 少しも補えなかった

いや 頭も心を弱いままだった


新しい言葉や 概念を欲している



ようするに 最近本を読んでいないから 
なにか本を読もうということを

回りくどく 話してみました

2015年5月19日火曜日

カニをポン酢の海で 泳がせて



最近 朝か晩 庭先へ出て 縄跳びをしている

近所の人たちが いつも以上にこやかに アイサツしてくれるようになった

小太りが縄を振り回し つっかかりながら ぽにょぽにょ跳ねているその
滑稽な様を 笑いたいという感情を 抑え切れないでいるようだ


1分飛んで 1分休みながらストレッチ を3セット

1分で約100回と飛ぶ 

するってぇと

飛び始めから その五分で 約300回
この熟れたマンゴウのような ワガママボディを
揺らしているという 計算になる

しかも醜い顔を まただんだんと苦しそうに歪ませながら


それは 嘸かし滑稽だろう

イケメンに憧れることは 今まで全くなかったけど
このときばかりは 少しでも顔の細工が良ければと 少し思った


なにかを変えようとして 始めたこと
一緒懸命やっていることを 笑わないでほしい
思うことが よくありがちな こちら側の主張でしょうが


その様が さぞ滑稽であることは 
己も十二分承知致しておりますので 

それを真摯に受け止め 挫けることなく 縄跳びを続ける事が
ボクがボクであるために やるべきことであると思っています



わずかな時間でも運動をすると スカッとする

ゴハンも 美味しくなる またおかわりをする

ワガママボディが また揺れる 熟れる


このままボクは どうなっていくのか


いつか縄飛びで 空が飛べるようになるまで

ボクは 縄跳びをやめない



2015年5月14日木曜日

パルムの偽物に気をつけろ


なんとなく 車で聞いていた 桂枝雀師匠の落語の そのマクラが

まるで 遺言のように聞こえて なんだか涙が出てきた

今までそれを聞いて ケタケタ笑っていたはずなのに



最近 急に太ったせいか なんだか涙もろくなったのか

それとも歳のせいなのか

変に偏りのできてしまった感情

それと引き換えに 自分の感受性 言葉の咀嚼力が 衰えてしまったようだ


そんな自分を 笑い飛ばず力さえも 失ってしまった


ここのところ  文章を書いても書いても 自分を苦しめるような 
そんな行き場のやり場のない言葉だけが ただただ溜まっていった

かといって 自ら命を絶つには まだ少しだけ やり残したことがあるようだ



友人に誘われて行った スチャダラパーの25周年ライブ

ワンマンライブならでは お約束ムードで始まり

ボクも そのつもりで ワンマンライブならではお約束ムードを楽しもうとしていた

しかし そのお約束ムードをいい意味でぶち壊す イントロが流れてきた

「B-BOYブンガク」だった

アレは95年に出たアルバムの イントロ明けの2曲目
少年期のボクが スチャダラパーにどっぷりハマるきっかけになった曲だった

少し大人になって スチャダラパーのライブの行けるようになってから
それなりにいろんなライブに行ったつもりだけど
その曲は 一度も 唄われることはなかった

大好きな曲だけど 「ライブでは絶対に演らない曲」と 勝手に決めつけていた


そんな「B-BOYブンガク」の イントロが聴こえた瞬間
全身に鳥肌が立ち 自然と涙がこぼれた

自分の中に潜んでいた『スチャダラ好き少年』が一気に目覚めたようだった

25周年ライブは 本当に最高だった 

その先の記憶がないがただただ ライブが最高だった感覚だけよく覚えている



たまたま立ち寄った CDショップで 置いてあったフリーマガジンの表紙

そこに写っていた 満面の笑みの 高田渡さんを見て なんだか涙が出てきた

それは 今まで映像や 写真で見た事がないくらいの 見事な笑顔だった


そんな とびきりの笑顔を高田渡さんを見て 知り合いでも何でもない
ただの壱リスナーのくせに なんでか CD屋さんの前で 涙した


ハタから見ていたら 小太りの不細工の 31歳が CD屋さんの前で
急に泣き出すなんて さぞ 気味が悪かっただろう


なにより 知り合いに見られてなくてよかった


どのミチ 気持ち悪いから 泣くのはもうやめよう