2015年1月28日水曜日

柔らかいかにを タマゴで包むなんて


ボクたち この街に住む人間は皆 今日も

空から降るものに ささやかな抵抗をして 生活をしている

雪かき という小さな抵抗をして

それは自然に逆らうというほどのものではなく

ただ起こる 自然現況に対して 
人間が生きてゆくための 生き延びるための ただの作業

悲しいほど目の当たりにしてきた 自然現象には逆らえないという事実

どんなに地球を蹴飛ばしても 地球は反対に回らなかった



あの頃のボクは 何にでも逆らっていた
逆らっているつもりなっていた


「先生 なんで 白いごはんに白い牛乳なんですか? 
これが日本の食文化なんですか?」

幾度 先生に楯突いても 
給食でコッペパンじゃなく白いゴハンが出される日の飲み物が
牛乳から ほうじ茶に変わることはなかった

かといってボクは 牛乳は毎日しっかり飲んでいた

牛乳と白いごはんの 相性云々以前に 牛乳も ごはんも 大好きだった
食べる順番を 気をつけれて 解決できたことだった

そんなことは わかっていた


あの頃のボクは 大きな声を出すことが かっこいいことだと思っていた


「先生 なんで 毎年毎年ユニセフ募金なんですか? 
その後の使い道が明確じゃないのに 募金出来ません!」

そんな逆らいも空しく 全校生徒から そこそこの募金が集まっていた



雪が降れば 雪をかく ということもよりも 
知らぬ間に 何かに従っていることの 恐ろしさ

しかし それに気がついたところで 
何も変わらない 変えられない 空しさ



牛乳は やっぱり白かった

2015年1月16日金曜日

アツアツの麦焼酎を むせながら呑もうじゃないか 友よ


あの日の 帰り道 夜道


雪の中をせっせと 我が家を目指して歩いていると


歩道に 手袋が 片方だけ落ちていた


道路に 片方だけの手袋や 靴が落ちているのを 見かけると

どうしようもない 切なさに 襲われる



片方だけ失くしてしまった手袋の その持ち主のことを思う

失くした瞬間から どんどんと 凍えていく その片手

使い道も 使おうとする気持ちも 失い

押し入れの隅っこに 追いやられることになる
残された片方だけの手袋


それは お気に入りの手袋に限って 
片方だけ失くしてしまうという ナントカの法則



さっきまでの 楽しい気持ちが どこかにいってしまった



その日は お祭りで 

御神輿を担いで 








綱引きに勝って
(撮影 村山先輩)

いっぱいお酒を呑んで
いいお湯に 入って

おいしいお寿司を食べて



大吉丼大を食べて

あとは おうちの 暖かいお布団に入れば 


100満点の一日だった


どうして あの手袋と出会ってしまったのか

と そんなことを思いながら おうちに帰り


眠る前に 歯を磨こうと 歯ブラシを手に取り

うがい薬を 歯ブラシにつけて 歯磨きをした 


口に入れた瞬間に 驚いて 

うがい薬まじりの 唾液を吐き出した

でも 憂鬱な言葉は 飲み込んだ


楽しいことも 切ないことも 噛み締めながら


その日は 眠った


2015年も始まったばかりだ

今年も長い長い年に なりそうだ


2015年1月7日水曜日

丸くても四角くても お餅はお餅 君は君 ボクはボク


米子発新見行きの 電車に乗り込んだとき 
すでに乗っていたおじさんが 福袋を開けていた 

福袋の中から おじさんが穿かなそうな 
派手な柄の ボクサーブリーフが たくさん出てきた

おじさんは ため息をついていた

これが 日本のお正月なんだ

ボクは お腹をにゅるつかせていたので 2人がけのシートで
終点に着くまで お腹を護るよう 少しだけぽっちゃりした体を 
できるだけ 小さくさせて じっと座っていた







年末から年始にかけて 青春18切符と スケートボードで 旅をして来た

松本から静岡 静岡から広島 広島から米子


静岡では 敬愛する人たちに会ってきた 時間の関係でお会いできない人もいたけれど

久々の naru蕎麦の くるみタレせいろ は本当に美味しかった


静岡の先輩方は皆 突然の訪問でも あたたかく迎えてくれる




もう長い付き合いになる 安間夫妻も とても手厚く迎えてくれた(ありがとう)


静岡から広島への移動中  ちょうど中間くらいの 姫路で
悪寒が 止まらなくなり 心が折れる以前に 体が持たなそうだったけど
オロナミンC 一本で 一時的に 超回復し 

広島にたどりついた


広島では ちょうど帰省していた にゃんころという 友人が
お好み焼きにつれていってくれた お父さんもとても紳士な方だった


美味しいお好み焼きを食べ 気絶するように眠り

魘されている間に年を越し 気がついたら元旦の朝だった



旅に出る前 なんとなく 2015年始まりは 原爆ドームに行こうと
決めていた なんとかたどり着けて よかった



中学生の頃 社会の授業中 この場所が『平和記念』という名称に違和感を感じ
先生に 「なにが記念なんですか?」 楯突いたことがあった
先生は何も何も答えてくれなかったし 
その数日後 ボクは意見する相手を間違った事に気がついた
そんなことを 思い出していた


元旦だったので 開いていないかと思っていた 
平和記念資料館も 観ることができた


その時間 自分なりに いろんな事を感じ いろんなことを思った



戦争 そして 原子爆弾が落とされたこと
それは ただの悲劇でしかなく その場所で それ以外でも
誰一人 喜んだ物は いかなかったであろう

大きな物や大きな事 (それ本当に大きいかは別として)によって
誰かを 圧迫したり 陥れることなんて だれも喜ばない


大きな力や 大きな声に 靡かない

個として強く 個として生きる力をつける

何をするにも その先に 誰かの喜びを



そんな たくさんの思いが 
平和記念公園を歩きながら こみ上げて来た


今年の始まりに ここに来て よかったと 心から思った


人も物も場所も 新たな発見 思う事 そんなたくさんの出会いがあるから
旅は やめられない


かわいい子には旅をさせろ とよく言いますが

ボクのように不細工な不器用で 頭悪く ぜんぜんかわいくない子でも 

旅として よかったなと思う そんな 2015年の始まりでした





旅の道中 鈍行列車の車窓から 流れる景色を
動画にまとめてみました 宜しかったらご覧下さい 


本年も宜しくお願いします