2015年3月8日日曜日

お前のかあちゃん サイコパス でも作るカレーは美味しいんだよね

誰もが 笑顔になるくらい よく晴れた青空の下

ボクは あの子を泣かせてしまった


そんなつもりじゃなかった そのぶん戸惑いも大きかった


そのときボクは おちぃんちぃんを 丸出しにしていた



「人前で 見せるモノじゃありません」



そうして彼女は 大きな声で泣き出した

ボクは小学1年生で あの子は小学2年生だった



あの頃のボクは おちぃんちぃんを人前でさらせば みんなが笑ってくれる

そう思い込んでいた


それが 大きな間違いであることを 教えてくれたのは

あの子の言葉と たくさんの涙だった




犯罪意識 罪悪感が大きく欠落した人を 「サイコパス」などという

その人格が 育った環境 今まで見て(観て)来たもの
影響を受けてきたもの 関わるっている人 などによってできたのか

もしくは 生まれもった脳の仕組み 
精神的 思考 思想の違いから なるものかは 
勉強不足の ボクにはわからない





一人の中学生は 高校生たちに 殺された


それは痛みを知らない子供たちの暴力を 止められなかった
その本人たちと その周りの人たちと その環境が そうさせてしまった


人を傷つけること その痛みと 
それによって 残るものが 悲しみしかないことを 
知らなかった ということなのか

その悲しみに やっと気がついても 人一人の命が 亡くなってしまった
という 取り返しのつかない事実が そこにある



また そんな子供たちを ここぞとばかりに 吊るし上げる大人たちがいる
そこでも また 弱き立場の人たちが 責め立てる

ときに 罪のない人を 罪人と吊るし上げる
それによって 牢獄で 受けなくてもいい罰を受けている人もいる


人は 弱きモノに対して強くなり 
それを「正義」だと勘違いしがちである




罪を犯した人  罰を受ける

罪とされなくても 人を悲しませた人は

それが悲しみであることを受け止め 

自覚し理解し反省し 学ぶ必要ある  

それは 絶対的な必要である



それが事件になる前に 取り返しのつかないことになる前に

それに気がつけるかということが 人間社会にとって永遠の課題である



それがたまたま 法律的に 罪に問われていないだけで
人は知らぬ間に 多くの人を傷つけ 悲しませて生きている


ボクだってそうだ 
知らぬ間に 誰かを圧迫し 傷つけ 悲しませて生きている
それが たまたま 罪に問われていないだけである


罪に問われていない罪ほど 怖いものはない


少なくとも その見えない悲しみに 少しでも気がついて生きたい

少なくとも ボクはあの日以来 人前で おちぃんちぃんを晒さなくなった


あの子の涙が 教えてくれたんだ



私利私欲我欲利欲が また 悲しみを生む


誰もが 皆同じことで笑える そんな日々を望んでいるはずなのに


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