2014年8月15日金曜日

遠くでサイレンが聞こえる

今から 18年も前のことだけど
今 思い出すだけでどうしようもない 悲しみに襲われる


家の電話が鳴って 渋滞をくぐり抜けて やっとたどり着いた病院で

母と弟は死んでいた それは映画でも見たことも無いくらい 無惨な姿で


何にも例えようも無い 悲しいなんて もんじゃない


目の前で 家族が死んでいる


大型トラックの無謀な運転の起こした事故の 巻き添えを喰らった


誰かの死 自らの死 望むモノじゃないし
どんな動物 植物でも「生きよう」という本能で生きている

「生まれて来た意味」なんてモノはなく
あるとしたら それは それぞれが見出だすモノで
生き抜いたときに やっと解るモノだと思う


それの途中で 誰かはそれを奪う権利は 誰も持っていない


誰でも 生き抜くことが 生きることなんだ


誰にでも家族がいて 仲間がいて 隣る人がいる
そんな人が 死ぬなんて 悲しくて やりきれない



だからボクは 戦争に反対する



戦争映画で 誰かの死は 泣ける名シーンになる それは映画だから

目の前の誰かの死は ましてや 仲間や家族が生きぬことが出来なかった死は
癒されることのない 悲しみでしかない


そんなことが 誰かの都合で起こりうるなんて 
あってはならないし 許されることじゃない


法律や概念 思想が違えども 

誰かや仲間や家族が 生き抜くことが出来なかった死は
癒されることのない 悲しみでしかない 

望むことではない


だからボクは この国に限らず 戦争に反対する



今日は終戦記念日




戦争を知らない子供なりに 戦争について考えてみた 朝だった



ただ ふざけて生きることも

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