2014年5月29日木曜日

おいしい大福を 見つけたんだ

こんばんちゅるうす かっくんです


ボクが中学1年のとき 松本総合体育館に

全日本プロレスを観に行った

そのときは弟も ジャイアント馬場も生きていた

ジャイアント馬場は ラッシャー木村とタッグを組み 
永源百田渕組と 前座の試合をするのが お約束だった

「社長!!」と野次が飛び交う 会場 
初めてプロレス観戦をする弟は それに大喜びして

いっしょになって「課長!!」野次を飛ばしていた
あまりに楽しそうだったので ボクは その間違いを否定しなかった

プロレス観戦をしたその年の冬に 弟は天国に行ってしまった

あとを追うように とはいわないけど
ジャイアント馬場も その2年後の松本総合体育館の試合を最後に
次の遠征先で 天国へ 行ってしまった

社長という立場でありながら 若い選手の前座で ファンの前にでて
ちょっぴり愉快な試合をする そんな ジャイアント馬場さんを
ボクは今でも 尊敬している

そして 最後の最後までプロレスを貫いたことも
尊敬してる 大きな理由の 一つだ

しかし 馬場さんよりも早く そして 幼いまま
何にも挑戦できないまま 天国に行ってしまった 

馬場さんの弟子で  どんな技でも返し 何度も立ち上がり
馬場さんに「不死身の男」を言われた

三沢光晴選手は リングの上で 死んでいったそうだ

でもボクは それをまだ 彼の死を受け止めていない 認めていない
なぜなら ボクのとっても 彼は不死身の男だからだ



ボクは ヒーローにも タイガーマスクにもなれていないし
なれるはずも ないんだけど

生きられなかった弟の分も 
ボクは多くのことに挑戦しなければならないと
思ったのは いくつのときか 忘れたけど

気がつけば ボクは 30歳で

こうして いろんなことに 挑戦が出来ている
行く先も 相手も見えないような 終わりのない追いかけっこを
ただ がむしゃらに つづけています


結局 なんだか うまくまとめられないけど


いろんなことに誘っていただけたり 
経験させていただけたり
挑戦させていただけたり

そんなきっかけをくれる 多くの人たちに 感謝しております


Facebookにも 投稿しましたが

23日の Back beat Club に遊びにきてくだすった皆さん
オーガナイザーのちびゆりさん 出演者の皆さん

24日 藤枝 GREEN PARK PICNICに誘ってくだすった
CO,NNECT 覚上さんと始め 愉快な 憧れの先輩方々


25日 クラフトフェア松本 モリノコーヒーに いらしてくださった皆様
中島君夫妻 シュンピくん もっちゃん


本当にありがとうございました



そして ボクの挑戦は まだまだ終わらないぜ

次の挑戦のために 今日は もう 寝ます おやすみなさい


最近 19時過ぎると 眠くて眠くて仕方がないのは
疲れているわけじゃなくて この冬 冬眠をし忘れただけだと
そう思っています

0 件のコメント:

コメントを投稿